Twitterの話

 TwitterAPIの変更のタイミングでこういう話をするのもなんだろうなと思うけども、Twitterの話をしたいなと思ったのでする。


ぼくはTwitterがとても好きだと自信を持って言える。

2010年から始めているのでもう13年近く続けている人間が、逆に嫌いな理由が無いと思う。

赤ちゃんが制服を着て学校に行くまでTwitter続けていると色々な思い出がある。


友達と変なリプライをしまくっていたらそれを見ていた相互フォローの女子高生に面白いと言われたこと(今はその方は結婚していて、アステカ神話の神の絵を描いたりしていました)や、やっぱり友達とある人の真似してたら本人が来て楽しそうで嬉しいというリプライをくれたこと(あの時はありがとうございました)や、変な人とバトルをしたことやいつの間にかフォローが外されてて悲しかったことなど、とにかく色んな事を体験した。


15歳の時から28歳までなのでもう人生の半分近くをTwitterと共に歩んでいるので、思い入れも大きくなる。


FacebookmixiのようなSNSにはハマらなかったのにTwitterはどハマりした理由は140文字制限なのが大きいと思う。

140文字という限られた中で如何に相手に伝わるかを考えてツイートするというのがとても楽しかった。

この情報は入れる、これは削る……というのを繰り返すのが良くて、自分の意見をツイートする時はこうでこう!というのをはっきりとさせ易く、自分の思考を整えるのに便利だった(その分誤解を招くような表現をしてしまうこともあったが)

もっとも、最近は同じことばかりツイートしているので、あまり説得力は無いかもしれないけれども。


それゆえの弊害だが、Twitterに慣れすぎて卒論や修論を書く時は若干苦労した。Twitterと違い、どうやるのか、どうしてそうするのか、どうしてそうなるのかという事をとにかく情報を丁寧に書かなければならないため、Twitterの情報の省略の癖が付いてしまっていて少し大変だった。長い文章を書くのも好きだったから、あくまで少しだけだ。


最近のTwitterの混乱のせいでTwitterに代わる移住先を探しているユーザーが沢山いるが、ぼくはTwitterと共に沈んでいく予定だ。

何故ならTwitter以上に好きになれるSNSがあるとは思えないからだ。

もちろんTwitterで知り合ったフォロワーと離れるのは寂しい事ではあるが、あくまでもネット上の繋がりでしかない。Twitterでいなくなったネット上の知り合いを何人も見てきてその度に寂しい思いをしたが3ヶ月もすれば忘れてしまう。

ただぼくが冷たい人間なだけの可能性もあるが、時間が経てばいずれ寂しさは無くなる。


Twitterが無くなると悲しいのはTwitterが無くなること自体が悲しいからで、ネット上の人達と繋がりが無くなるからではない。いずれ会えるかもという希望がある時点で悲しむ理由が無い。

Twitterという素晴らしかったSNSが無くなり、思い出はデータも残らず、皆から忘れ去られるのが悲しいのだ。


本当に残したいネットのデータは永久には残らない。

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