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狭ぇな

住んでる町で唯一の皮膚科に行ったら普段愛想が悪いドラッグストアの店員がいた。 別の日にまた皮膚科に行ったら仕事先にいる愛想の悪い警備員がいた。妊娠しているようで、その日から少し経って見なくなった。 ぼくはこの出来事が嫌だなと思った。世界が狭過ぎる。 ドラッグストアの店員と会うのはまだ分かる。自分の家から歩いて 3 分も無い所で働いているのだから生活圏が同じでもおかしくない。 でも仕事先は車で 40 分ぐらいかかるし、隣町だ。そんな所でしか会わない人と生活圏が被るなんて狭過ぎるにも程がある。 しかも名前すら知らないのに、その人のパーソナルな情報が分かってしまうのが嫌なのだ。 田舎に住んでいるとそういう世界の狭さが見えてしまって辟易する。本当に嫌だ。そもそも相手は自分に気付いてないどころか顔さえ覚えられてない可能性もある。そんな人の事を知る事になるのが嫌だ。ストーカーと同じだと思う。 それに比べると実家の周辺は知り合いと会うことが少ない。実家から歩いて 20 分くらいで東京 ( とはいっても葛飾区だが ) や千葉に行けるので、わざわざここをウロウロしてるような知り合いはいない。むしろ探してしまう時もあるけど、まず会わない。人が多いし色んなところに行けるからだ。 とても心地良い。開放感がある。そのために実家に帰ってる所もちょっとある。 自分の知ってる人の情報が入ってこない事はとても心地良い。そもそも地元に知り合いがそんなにいないということもあるけど。

書くことが無い

  サボってたとか忘れてたとかではなくて書く暇がなかったので書いてなかったと書くと、タイトルと違って書くことありそうじゃんと思われるが、基本的に書くことがない。 何をした、とか何が起きたというイベントが無い生活を送っているせいで書くことがなくなってきた。まだ全然書いてないのに。 始めた時は書きたいことがたくさんあるぞ〜と思っていたけど驚くほど無かった。ぼくは見切り発車をよく行う。 学生の頃からフィリピンの人とリモートで英語の勉強をしていて、最近は何かあったか?仕事はどうか?という質問をされるのだけど、いつもいや〜普通の 1 週間ですねとかちょっと忙しかったかもねという返しを英語でしている。 本当は何かしているけどそれを隠してるんじゃないか?と思われてるんじゃないかという気になるけど、本当に普通の日常で仕事に行って家に帰ってというルーチン行動しかしてない。 埼玉に住んでいた頃はこうじゃなかったのにな …… と考えてからふと思ったことがある。 ぼくは埼玉にいた頃から変わってないということだ。 前のぼくは新しい物が好きだった、と自分で思い込んでいるだけで実はそうでは無かったということだ。 何かをネットやテレビや雑誌で見て面白そうだなと思ったら行ってみたりやってたのは、そういう事が気軽な気持ちで出来る環境にいたからだ。 今は面白そうなものを見聞きしてもそれを体験するには少し大変な環境におかれている。 だからしたいと思った時に面倒臭さと天秤にかけて面倒臭さが優って家で寝ているのだと言うことを考えたのだ。 そんな気持ちでは何も書くことなんか起きる訳がない。自分で行動していないのだから。 とりあえずこの文章を投稿しよう。

Twitterの話

  Twitter の API の変更のタイミングでこういう話をするのもなんだろうなと思うけども、 Twitter の話をしたいなと思ったのでする。 ぼくは Twitter がとても好きだと自信を持って言える。 2010 年から始めているのでもう 13 年近く続けている人間が、逆に嫌いな理由が無いと思う。 赤ちゃんが制服を着て学校に行くまで Twitter 続けていると色々な思い出がある。 友達と変なリプライをしまくっていたらそれを見ていた相互フォローの女子高生に面白いと言われたこと ( 今はその方は結婚していて、アステカ神話の神の絵を描いたりしていました ) や、やっぱり友達とある人の真似してたら本人が来て楽しそうで嬉しいというリプライをくれたこと ( あの時はありがとうございました ) や、変な人とバトルをしたことやいつの間にかフォローが外されてて悲しかったことなど、とにかく色んな事を体験した。 15 歳の時から 28 歳までなのでもう人生の半分近くを Twitter と共に歩んでいるので、思い入れも大きくなる。 Facebook や mixi のような SNS にはハマらなかったのに Twitter はどハマりした理由は 140 文字制限なのが大きいと思う。 140 文字という限られた中で如何に相手に伝わるかを考えてツイートするというのがとても楽しかった。 この情報は入れる、これは削る …… というのを繰り返すのが良くて、自分の意見をツイートする時はこうでこう!というのをはっきりとさせ易く、自分の思考を整えるのに便利だった ( その分誤解を招くような表現をしてしまうこともあったが ) 。 もっとも、最近は同じことばかりツイートしているので、あまり説得力は無いかもしれないけれども。 それゆえの弊害だが、 Twitter に慣れすぎて卒論や修論を書く時は若干苦労した。 Twitter と違い、どうやるのか、どうしてそうするのか、どうしてそうなるのかという事をとにかく情報を丁寧に書かなければならないため、 Twitter の情報の省略の癖が付いてしまっていて少し大変だった。長い文章を書くのも好きだったから、あくまで “ 少し ” だけだ。 最近の Twitter の混乱のせいで Twitter に代わる “ 移住先 ” を探しているユーザーが沢山いるが、ぼくは Tw